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zoom RSS 「学問のすゝめ」十一編を終えて

<<   作成日時 : 2016/02/10 12:01   >>

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名分(古い守ってきた上下関係)を職分に
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  アジア諸国では君主は「国民の父母」国民を「赤子」と、親子関係で呼び、地方官を「州の牧」、政府の仕事は「牧民の職」と愚かな民衆を助ける親心で呼びます。このことからもわかるように昔からの名分は善意から生まれたました。しかし現実、この名分を振りかざす偽君子(=ニセ紳士)が何故こんなにも多いのか?その害は恐るべきものです。

 しかし本物の君子がいないわけではありませんが、時代が移るにつれて人情は薄く義の心も衰退の時期を迎えているし、数少ない君子で果たして日本の国を守るに足りるでしょうか?重要なのは名分の字を職分に置き換え、政治家は政治、法律の職分を。軍人は国を守る職分を。国民は国の費用を出す職分を。学者、町人も決められた職分があるはずです。それぞれが持っている本質の意味を誤ると国中が大混乱に陥ってしまいます。(明治七年七月)

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福田先生の資料より
「鹿鳴館時代の福澤諭吉」

 明治16年(1883年)11月28日永田町の首相官邸にて幕が上がる。 鹿鳴館の貴婦人たちは歴史の舞台に華々しく登場して、わずか5年足らずでさっと退場した。確かに鹿鳴館時代はあさはかな欧化政策に狂奔した男たちが始めたものだったが、美という女の武器で女たちが歴史に集団的に名を残した最初の事件だった。

 漫画家のビゴーは意地悪く腰や足の曲がった女性たちを描いているが、よく頑張っていると感服する。もっとも芥川龍之介は「舞踏会」の中に、主催者井上馨夫人武子のことを「権高な伯爵夫人の顔立ちに、一点下品な気がある」と批評している。
 井上外相の条約改正交渉はほどなく頓挫し、明治20年9月井上が辞任。鹿鳴館はにわかに終わりを告げる。その華やかな「クライマックス」に福澤は「家事」を理由に参加しなかった。

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   お順さん基金報告
   10×500=5,000円
   ▲エアコン代=200円
   トータル:59,640円

 新しい年を迎え先生のますますの元気に負けないように頑張りましょう。日めくりカレンダーも3月のプレゼント日に向けて追い込みです。お楽しみに!!(会計松本ひろ子)


2016年「学問のすゝめ」十二編の集いは3月6日(第1日曜日)午後6時〜7時半を予定しています。

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